小夜の中山 夜泣き石
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小夜の中山 夜泣石
東海道五十三次日坂宿
安藤広重 東海道五十三次 日坂
小夜の中山 夜泣き石
小泉屋横の石段上にある現在の夜泣石
小夜の中山
現在、小夜の中山峠付近にある公園
小夜の中山 久延寺
久延寺
小夜の中山の頂上にはお観音様をお祀りした
久延寺(きゅうえんじ)というお寺があります。
ある日の夕方、この寺に、臨月の身になった婦人が
安産をお祈りして帰る途中、
丸い石にもたれて休んでいました。
すると突然、刀を持った山賊が出て来て、
婦人を丸い石に切りつけ、ふところにあった
お金を取り去って行きました。
婦人は殺されましたが、幸い刀の先が
石に当たった為、お腹を切り落とすことなく
赤ちゃんは無事切り口から生まれました。
子を想う母の魂は、丸い石にのり移り、
助けを求めるために泣きました。
山頂のお坊さんは泣き声に気づき、
山を西の方に下り訪ねてみると、
道の真ん中の丸い石のかたわらで
婦人は殺され、赤ちゃんは虫の息で居りました。
「この有様ではお寺まで赤ちゃんの声が聞こえるはずがない、
泣いていたのはこの石に違いない」と思い、
まず婦人を始末して、赤ちゃんをお寺に連れて帰りました。
お乳がなく困ったお坊さんは
早速、水飴を作り大事に育てました。
幸い子供は肥立ち良く成長し、音八と名付けられました。
日頃、住職さんより生い立ちの事を聞いて居りましたので、
大人になったら母親の御魂を休めたいと
思い暮らして居りましたところ、
ある朝、お観音様のお告げであろうか、
刃物の研師になる様にと夢を見ました。
十五歳になった音八は西の方へ旅立ち
大和の国、恩知村へ行き、研屋源五郎宅に身を寄せました。
幾多の苦労を重ね一人前の研師に成った時、
一人の侍が来て
一振りの刀を研いで下さいと
音八の前に差し出しました。
見ると刃の先に大きな刃こぼれがありましたので
「大変名剣ですが・・」
と尋ねてみると、侍は思わず知らず(無意識に)
「我、若き頃、遠州の山の中で石に当てた時の刃こぼれである」
と語りました。
長い年月、胸にあった思いを語り合い、
亡き母の御魂を休めたと言う事です。
−東海道小夜の中山夜泣石由来より−
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このお話では侍(轟業右衛門)も昔を悔いて時を過ごし
音八とも和解したお話になっていますが
母の仇とわかり名乗りを上げ、恨みを晴らした・・
というお話もあります。

2つの夜泣き石
夜泣石は小泉屋横の石段を30m登った所に祀られています。
しかしもうひとつ、お話の舞台となった
久延寺の境内にも夜泣石があります。
昔話に登場する「夜泣石」は小泉屋の裏山に安置されています。
久延寺にある夜泣石は夜泣石物語の妊婦(小石姫)を弔う為に
建てられた供養塔とされています。
久延寺にある夜泣石

小夜の中山 夜泣石
東京銀座松坂屋で昭和11年に開催された
静岡県物産展に夜泣石が展示され この時、エレベータに載せる為、
計測したところでは約三百貫(1125kg)あったと記録されています。
現在の夜泣石横にある石灯籠はその時に戴いたものです。
小泉屋裏山の夜泣石
小夜の中山 夜泣石